大阪市中央区の町名の由来を探る!住みやすさや地価相場もご紹介

引っ越し先を選ぶとき、交通や利便性だけでなく「その街の成り立ち」を知ることも重要です。
地名には、その土地の歴史や風土、人々の暮らしが色濃く映し出されており、暮らしやすさを判断する一つの材料になります。
そこで今回は、大阪市中央区で不動産購入をお考えの方に向けて、町名の由来や住みやすさ、地価相場についてご紹介します。
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大阪市中央区(旧東区)の町名の由来は?

大阪市中央区は、平成元年に旧東区と旧南区が合併して誕生しました。
旧東区は現在の北部から東部にかけて、旧南区は大阪ミナミの繁華街を含む南部を担っており、それぞれの歴史と伝統が現在の中央区に受け継がれています。
はじめに、旧東区のなかから4つの地域をピックアップし、その町の名前の由来や変遷についてご紹介します。
安土町
安土町は、大坂三郷北組に属する安土町1~3丁目・上魚屋町・浄覚町の全域と、升屋町・御堂前町の一部から成り立っていました。
その後、明治2年に東大組へと所属が変わり、明治5年には安土町1~4丁目が成立します。
明治12年には東区の一部となり、明治22年の市制施行にともない大阪市東区に編入されました。
「安土町」という名の由来には2つの説があり、ひとつは近江安土から移り住んだ町人にちなんだものです。
もうひとつは、天正年間に射術の訓練場が置かれ、的の背後に築いた土盛り(あずち)に由来するという説です。
和泉町
和泉町は、豪商・鴻池家の邸宅が所在していたことで知られています。
明治初頭、この地域は大坂三郷北組の藤の森町・江戸町・和泉町にあたりました。
明治2年に東大組に属し、明治5年には和泉町1~2丁目が成立。
その後、明治12年に東区の一部となり、明治22年の市制施行により大阪市東区へ編入されました。
町名は伏見から移住してきた町人が関わり、伏見和泉町にちなんで名付けられたとされています。
糸屋町
明治初頭、この地域は大坂三郷北組の松尾町・南革屋町の全域、内骨屋町の一部、さらに南組の与左衛門町の一部から成り立っていました。
明治2年に東大組に属し、明治5年には松尾町・南革屋町の全域と与左衛門町・内骨屋町の一部をもって「糸屋町1~2丁目」が成立します。
その後、明治12年に東区の一部となり、明治22年の市制施行にともない大阪市東区へ編入されました。
かつて二丁目付近(松屋町筋と交わるあたり)には幕府の牢屋敷が置かれ、明治18年まで監獄として使用されていたそうです。
「糸屋町」という名称の由来は明確ではありませんが、初発言上候帳面写には「松尾町はかつて糸屋町と呼ばれ、伏見から大坂へ移り住んだ人々による」との記録があり、伏見町人の移住に由来すると考えられています。
内淡路町
当町は明治初期、大坂三郷北組の内淡路町1〜3丁目から始まり、再編や市制施行を経て大阪市東区の一部となりました。
平成元年には東区と南区の合区により中央区へ編入され、住居表示の実施で現在の町域が形成されました。
町名は、船場の淡路町通りが東横堀川の東側に位置することに由来します。
「内」という名は、豊臣秀吉時代の大坂城惣構の内側にあたることから付けられました。
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大阪市中央区(旧南区)の町名の由来は?

続いて、旧南区のなかから4つの地域をピックアップし、その町の名前の由来や変遷についてご紹介します。
生玉町
当町は明治初頭、西成郡西高津村の一部に属していました。
明治22年に東成郡へ編入され、明治30年には大阪市東区西高津字生玉に属します。
明治33年に字生玉の一部から生玉町が成立し、大正14年には天王寺区となり、昭和18年の区制再編では千日前通以北が南区生玉町となりました。
町名は、この地に鎮座する「生国魂神社(いくたまじんじゃ)」にちなんで名付けられたものです。
上汐町
上汐町は、東成郡北平野町の一部でした。
明治22年の町村制施行で東平野町大字北平野の一部となり、明治30年に大阪市東区東平野大字北平野に編入します。
明治33年に東平野町1~6丁目が成立し、大正14年の区制変更で天王寺区へ移り、翌年1~3丁目の一部が上汐町として分割します。
その後、昭和18年の行政再編で、上汐町1~2丁目全域と3丁目の一部が南区上汐町1~3丁目となりました。
「上汐町」という名は、塩町通と区別するため上町台地の「汐町」を意味するとされます。
一方で、菅原道真が潮待寺で潮の満ちるのを待ったことに由来するという説もありますが、潮待天神を祀った天然寺は現・城南寺町にあり、必ずしもこれに基づくとは限りません。
鰻谷中之町
明治初頭、この地域は複数の町で構成されていましたが、明治5年に再編され鰻谷中之町が成立します。
明治12年に南区の一部となり、明治22年の市制施行で大阪市南区に編入されました。
「鰻谷中之町」という名は、島之内の町割が整備された元和年間からの呼称に由来します。
「中之町」は、東西に細長くのびた鰻谷の中央部に位置することから付けられました。
御蔵跡町
明治初頭、この地域は東成郡天王寺村の一部と御蔵跡一円でした。
明治2年に南大組に属し、明治6年には旧幕御蔵跡と天王寺村入地を編入して御蔵跡町が成立します。
明治12年に南区に入り、明治22年の市制施行で大阪市南区に編入され、昭和18年の区画変更で、北側以北が現在の南区御蔵跡町となります。
宝暦2年から寛政3年にかけて、この地に幕府の米蔵(御蔵)があったことが町名の由来です。
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大阪市中央区の住みやすさは?地価相場もご紹介

大阪市中央区は、交通利便性、商業・飲食施設、歴史・文化施設が充実しており、住みやすいエリアといえます。
ここからは、中央区が住みやすいとされる具体的な理由と地価相場をご紹介します。
大阪市中央区の住みやすさ
大阪市中央区は、大阪の中心地として、利便性と生活環境のバランスが取れたエリアです。
区内には地下鉄谷町線や長堀鶴見緑地線などが通り、梅田や難波、天王寺など主要なエリアへのアクセスが良好です。
また商業施設や飲食店が豊富で、ショッピングやグルメを楽しむことができます。
治安面では、警察署が近くにあり、ビジネス街であるため比較的安全とされています。
ただし、繁華街に近いエリアは昼だけでなく夜も騒がしいことがあるため、住まいを検討する際は、昼夜それぞれの時間帯に現地を訪れて周辺環境を確認することが大切です。
大阪市中央区の地価相場
令和6年における大阪市中央区の地価情報は以下のとおりです。
●地価総平均 347万7,000円/㎡
●坪単価 1,149万4,214円/坪
●変動率 11.71%上昇
※上記の数字は大阪市中央区の公示地価と基準地価の総平均を記載しております。
※参考://tochidai.info/osaka/osaka-chuo/
大阪市中央区は全体的に見て地価が上昇傾向にあり、住宅地の基準地価は前年から+7.33%、商業地は+13.45%となっています。
とくに駅に近い地域ほど地価が高く、もっとも高価格なのが「心斎橋駅」の周辺です。
地価はさまざまな要素によって変動しますが、今後も上昇する可能性があるため、購入を検討している場合は早めに不動産会社にご相談ください。
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まとめ
大阪市中央区は、交通利便性や商業・飲食施設、歴史・文化施設が充実しており、生活環境と利便性のバランスが良いエリアです。
どの地域で不動産を購入しようか迷う場合は、治安や周辺環境だけでなく、町名の由来についても確認しておくことをおすすめします。
また、区全体の地価は上昇傾向にあり、今後さらに上昇する可能性もあるため、不動産購入をご検討中の方は早めにご相談ください。
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